年寄りは時間と闘っている。

 人間は働いてメシを食っている。だが、定年退職して毎日が日曜日になると、体は徐々に仕事のペースを忘れてしまう。リタイアして10年も経つと8時間の労働に耐えられるかどうかもあやしいし、仕事の勘が戻るか心もとない。
 まして無線屋の仕事は日進月歩であり、新しい技術を覚える自信など持てない。仮に、若い時と同じくらいの早さで知識を吸収できたとしても、20歳の頃の5年と60歳での5年の違いは大きすぎる。下手をすれば覚えた頃には死神に追いつかれてしまうか、疫病神に取り付かれてしまう。
 
 そう考えると東日本大震災で被災し、避難所で仮住まいを強いられる人々の事が心配でたまらない。
 『岡に上がった河童』という言葉があるが、津波で大きな被害を受けたのは漁師など漁業に携わっていた人や農業の人が多い。さらに、避難している人々には高齢者も少なくない。漁業にしろ農業にしろ、避難生活が長くなれば仕事の勘を取り戻すのに時間がかかったり、港湾整備や田畑の復旧に時間がかかれば年齢的に元の仕事に戻れなくなってしまう。
 また、避難生活というのはほとんどの人が仕事を失い収入の道を絶たれる。政府や企業は見舞金や補償金や賠償金という手段で被災者を救済しようとするが、人間はお金を貰って生活をしているうちに労働意欲を失ってしまう事もあるのだ。
 『人はパンのみにて生くるにあらず』という言葉がある。犬だって猫だって人間だって食べる事で肉体は満たせても、檻に閉じ込められた様に夢も希望も沸かない生活をしていると心が折れてしまい、生きる意欲を失ってしまう。現に、避難所で生活する老人には痴呆の進んだ人も出ているのだ。
 大震災の不安が徐々に薄らぎ、次第に生活の不安が増してきているので、毎日の生きがいを感じられる救援策を考えなければならない時期に入ってきたと、私は思う。