福島第1原発の事故。

 炉心溶融と建屋爆発は原子力発電の安全神話を覆す事故だと思う。これで、原子力発電への反対運動が盛り上がり、日本のエネルギー問題を問い直すキッカケになると思う。
 さ~て。今後のエネルギーをどうするかだが、豊かな生活をするならば原子力発電も選択肢の1つだし、安全を願うなら生活レベルを落とすのも1つの選択肢だと思う。
 今日は朝にブログを更新してから、用事のために吉祥寺に出かけた。電車は15~20分間隔で運転され、車内も本数の減った分だけ混んでいた。食料品を買おうとディスカウント店のロジャースに入ったが、懐中電灯や電池は売り切れましたと館内放送され、食料品もパンやインスタント食品の棚は空になっていた。
 飴やお菓子や酒のつまみ類を買う人はほとんどいない様で、棚には商品がいつもの様にあるが、空になった棚に商品を追加をする店員は1人もいない。たぶん、倉庫の商品も空なのだと感じた。そして、閉店時間を午後3時半にするという館内放送で、やっぱりそうなのだと確信した。
 原子力発電は危険だと言ってしまう事は簡単だが、便利な生活を捨てる覚悟はあるだろうか。私の冬の暖房はコタツで、大体100~200wくらいの電力消費で、室温は12~15度。もっと暖かく生活するために電気ストーブを使う人は少なくとも2~3Kwの電力は使うだろう。
 物の無い不便や、交通通信手段の不自由な生活や、不充分な食生活に我慢できるだろうか。今までは成長する事だけを考えてきたが、今回の大災害はエネルギーを始めとして、成長の限界を考える別の生き方を模索すべしとの啓示の様に感じられる。
 しかし、豊かさの多くは、金を払ったとはいえ誰かから奪った物なのに手放す事ができない。(今日は不便でせつない外出となった)