災害の時、女房と離れている不安。

 3月の8~11日の予定で草津温泉に行きました。いつもならば午前中に草津を立つのですが、11日は午前中にもうひとすべりと町外れにあるサイクリングロードで歩くスキーを楽しみました。そして帰り支度をしていたら人生最大の地震に遭遇しました。多分、草津の震度は5くらいだと思いますが揺れの時間の長さに、これはただ事ではないと感じました。
 すぐ女房に電話すると1回でつながり、東京もひどい揺れだったと言ってるうちに次の揺れが来ました。水を貯めろとか物の落下やガラスの破片に注意しろなどと話しているうちに電話は切れてしまい、それ以降はドコモの通話規制で全然つながらなくなりました。
 関越高速も通行止めとなってしまったし、一般道を長時間運転して帰る根性も無いので宿泊延長を決めました。地震情報を知りたくてテレビを見ていましたが、流される映像は悲惨なものばかり。それから無数の余震にユラユラ揺られて船酔いの様になり、胃袋が動かなくなってしまいました。
 そして12日の朝5時頃には、草津の山の向こう側。中越地方で地震が起こり、震度5くらいの揺れになりました。女房の様子は気になりますが、確認したくても携帯電話も一般電話もつながりません。気の弱い私は腹痛と下痢で12日は帰れず、さらに延泊をするしかありませんでした。
 結局、帰宅したのは13日になってしまいました。未曾有の大災害で高速道路は空いていて、愛車のロシナンテにも私の気持ちが伝わるのか、13歳の老体にもめげずにビュンビュンと走ってくれました。ところが高速を降りたら大渋滞にはまり『アァ運も尽き果てたか』と思いましたが、それは私の走っている片側1車線の道路の先にあるガソリンスタンドへの給油待ちの列でした。なんとかそこを抜け、私も給油しようといつものガソリンスタンドに入りましたが「すみません。レギュラーもハイオクも売り切れです。」と言われてしまいました。
 テレビは恐ろしい。被災地で燃料不足と報道されたら被害のない所でもガソリンの買いあさりがおきたのです。しかも、その大半は週末ドライバー。明日から車で商売しなければならない人だって大勢いるんだ。週末ドライバーが不要不急のガソリンを買うんじゃあない。少しは自重しろ。明日から車で仕事をしなければならない人のために買い控えろと思ってしまった。
 そうすれば私だって給油できたじゃあないかと自分勝手な事を思った内蔵助でした。