中央線の中野~立川間は一直線。

 中野から立川の直線部分は用地買収が上手く行かなくて困り果てた鉄道技師が定規を地図上に投げ出した時の位置だと聞いた事がある。以前、新聞社が撮った航空写真を見た事もあるが、本当に一直線だった。
 今は、甲州街道沿いには京王線が通り、青梅街道沿いには西武線が通っている。ところが、鉄道以前はこの両街道が物流の要だったので、馬借の親分衆が商売敵の鉄道敷設に反対したらしい。
 そう考えると、定規を投げ出した鉄道技師の気持ちも判らなくはないし、両方の街道から適当に離れているので真偽の程は判らないが面白く真実味が増す。
 無線屋にも似た様な話がある。衛星通信ができる以前の遠距離通信は短波(3~30Mhz)が使われ、アンテナは約100mくらいの間隔で高さ50mくらいの鉄塔や木柱を立ててその間にアンテナを張った。
 そのための用地買収に出向くと、お百姓さんに胸倉を掴まれて『畑は売らない』と言われて追い返される事もあった。時には、アンテナの下は作物がよく育つと言う人もいて『貸すなら構わないよ』と言うものの、畑を手放すお百姓さんはほとんどいなかった。
 仕事とは難しいものである。土地や権利や利害が絡むと痩せる思いをするものである。