里の不作は山の豊作。

 平成6~7だったと思うが、冷夏で不作の年があった。例年ならばちょうど稲刈りの頃に出羽三山羽黒山湯殿山に遊びに行ったら、山間部の田圃は稲が実もつかずに青立ちしていた。
 宿で「大変な年になりましたね」と言うと、『昔から、里の不作は山の豊作と言いますから』と答えられ、天候が悪くて稲は不作でも山ではキノコや木の実が採れると教えてくれた。
 出羽三山の山あいは、もともと稲作には不向きな涼しい所で、昔から何度も餓死者が出る様な不作にみまわれた土地だったのだろう。先祖代々から山野の恵みで飢えをしのぐ方法が伝えられているのだと感じた。
 とはいえ、山野の恵みには栽培作物の様にそのままで食べられる物は少ない。栗よりも美味しそうに見える栃の実には口の粘膜を溶かすほどのアクがあるし、イベリコ豚で有名なドングリも人間の口には合わない。
 山の恵みをいただくには、蒸したり、アク抜きしたり、干したりと大変な手間がかかる。だが、餓死しないためにはその手間を惜しんではいられない。
 今年は出羽三山で教わった言葉を借りれば『里の豊作は山の不作』の年という事になるのだろう。酷暑で雨の少なかった夏が山を不作にしたのだと思う。熊も飢え死にしないためには里に出てこなければならないのかもしれない。
 そういえば、鹿は松茸の笠の部分だけを食べるらしい。今年は松茸が豊作で去年の半額ほどらしいが、私はここ数十年食べていない。贅沢は言わないから鹿の食べ残しの軸だけでもいいから食べたい。