常識というフィルター。

 普通の現代人であれば、現代の常識を無視して考える事はまれだと思う。3月10日のブログ『亡き人を偲ぶ男の愛』など、1夫1婦制の現代日本では考えられない話だった。
 しかし、現代でも回教国では多妻が認められているし、時々テレビに出るサンコン氏など、多妻の中で自分の母親が恥ずかしい思いをしないようにと勉強に励んだというから、多妻もまんざら捨てたものでもない。
 多くの年寄りが反対する夫婦別姓も、常識というフィルターを取り外して考えないと本当の答えは出せないと思う。
 日本の女性が家に縛られ、家の犠牲になっていたというが、生活面では確かにその通りでも、継承という面では女性の立場はしっかりとしていた。
 祖母も母もそうであったが、紋付の紋は祖父や父の紋と違っていた。女が結婚する時は父親の紋ではなく、母親の紋で着物を作り嫁いでくる。そして、娘が嫁ぐ時は自分の紋を継承させる。たかが家紋の継承なのだが、なにか性染色体のXとYの継承をイメージしてしまう。
 私は夫婦別姓であってもかまわない。あるいは、結婚でも姓を替えられない様にすれば、借金逃れに次々と結婚や養子を繰り返す不心得者の犯罪を防げるかもしれない。
(大風呂敷を広げた割に尻つぼみになってしまった)