『拾った切符(Woman's side 1)』

 最近は本当に不景気ね。バブル絶頂期に入社して、新入女子社員だって残業手当だの何だのと、けっこう手当てが付いて手取りが良かったから男性社員と派手に飲み歩いて楽しかったんだけど、バブルがはじけて残ったものは婚期を逃した私と、浪費家との噂で余計に結婚が遠のいてしまった私。
 それに、給料だって手当てが減って手取りは新入社員の頃より少ない事もあるし、今は会社に内緒でオミズのバイトやらなきゃ生活できないし。給料で生活できないわけじゃなくて生活レベルを落とすのが嫌なんだけど、でも首にならなかったのはめっけもの。マ、いいか。

 今日はオミズの方に臨時のお仕事が入って会社をずる休みして熱海で特別のオシゴト。
 本当はこうゆうの好きじゃないんだけど、実入りのいいのが魅力で断ることが出来ないの。でも、これが癖になるとそんな生き方しか出来なくなるんじゃないかと心の隅には不安も少しある。でもお金は必要だし、マ、いいか。
 ママからもらった切符はいつものように新幹線の指定席で、行き先は熱海になっている。今回は中年の男性と聞いたけど、ママはいつも中年と言うけど、実はたいがい熟年なんだよね。でも、熱海で日帰りなんて珍しいな、よっぽど忙しい人なのかもね。この前は派手な服装で二人の関係見え見えで恥ずかしかったから今日はすこしシックにするかな。いっそのこと有能女性キャリア風にスーツでも着ていくか。そうすれば、重役と秘書に見えるかも。キャハ。最近、仕事が少ないのに休みが取りづらかったから今日のずる休みは妙にハイな気分になってるな。スーツは冗談がきついのでやめにしたけど、それでも今回は落ち着いたツーピースを選んだ。
 今日は日帰りだから小ぶりのハンドバックとバックバンドの中ヒールで、近くにショッピングでも行くようなルンルン気分で出たけど、朝のラッシュの込み合った電車で足を踏まれて気分はブルー。だけど、踏んだのが若い美形のサラリーマンだし、ちゃんと言葉に出して謝ったから許してやろう。踏んだのに気づかないふりをしたり、頭だけ下げる奴には踏み返したいくらい頭に来るんだよね。

 新幹線のホームには着たものの、ラッシュで足を踏まれたり、熱海で何をするか判っているので少しブルーなまま発車時間の直前までキオスクで缶コーヒーを飲み、相手をじらしてやったと思って新幹線の指定席に座ったけど隣は空席のまま発車した。普通は落ち着いた様子でも期待をあらわにした相手が座っているんだけど。今日は空席か。もしこのまま相手が来なかったらどうするんだ。とりあえず熱海に行って、宿に行って、食事二人分食べて、温泉に入って、帰ってくるのかな。それでも良いのかな。それって、普段の自分へのご褒美みたいな日。そうなると良いな。
 甘い期待は隣に男が座って破られた。珍しい本当に中年だ。それもまだ若い方の。私の主人ですといっても良いくらいの年恰好。ラッキー。

 「乗り遅れたのかと思いました。」と声をかけると少し間を置いて、「発車寸前に別のドアから飛び乗ったので列車の中をこちらまで歩いてきました。」と答えた。少し、むかついた。何があるか判っているならば女を待たせるなと腹の中でつぶやいたが、嫌いなタイプじゃないから許してやるか。
 「熱海までご一緒しますが特に名前や名刺の交換は無しにしましょう。わたし、名刺を持っていませんし。」と顔をそむけたまま言うと「私もそれが良いかと思います。」だって。プフ、かわいい。
 でも、かわいのはそこまで、後は無愛想に何も話さない。行き先が熱海で、日帰りで、どちらかといえば若い。きっと、地方大学卒の半キャリアかも。将来は自殺要員のポストが用意されていたりして。きっと、口下手で要領の悪い奴なんだ。
 新横浜をすぎても口を開かない。この男は何なんだと思い始めた頃、「ああ、大山だ。大山祇神は木花之開耶姫の父親だから、丹沢の大山は富士山より偉いんです。」と、急に来た。「え、なに。」と訳が判らないので問い返すと山の話をしだした。朴訥でいい奴かもしれない。きっといいやつだ、でも話題の無いやつだね。一つ話すと話題が切れる。何か見ると急に話しかける。山の話と駅弁の話だけじゃあ女にはもてないよ。
 熱海の車内アナウンスにさっさと立ち上がって行ってしまうので、男の手を握っていっしょに駅を出たが、あまりにも無頓着な男なので「タクシーで行ったほうが目立たなくて良いでしょ。」と私のほうから仕切ってしまった。タクシー代は男が出したのでホッとした。千円でも金欠病の自腹はいやだし、あんたのせいでタクシーにしたんだからね。
 本当に鈍くさい男だこと。早く入れば良いものをタクシーを降りたら周りを見回している。バカ。ドニブ。

 男を置いてさっさと部屋に入りお茶を入れていると、やっと女将に連れられて男が部屋に入ってきた。本当に鈍いんだから、お茶を入れてもらうのは当たり前とでもいう様に黙って突っ立ている。
 腹が立ったので「私、温泉を浴びてきます。お茶を入れてありますのでどうぞ。」と不機嫌を悟られないように言って立ち上がった。男はまたも突然に「私も温泉に入ります。」と言うので、「ここには家族風呂はありません、男女別々の内風呂です。」と言ってやったが、あまりのおかしさにクスリと笑ってしまった。
 見た目は悪くないどちらかと言うと私好みの男だけど、あの鈍い男とこれからする事を考えるとブルーな気分は晴れない。あんな男に限って女に奉仕させる自分勝手なやつに決まっている。それもえげつないほど徹底的に奉仕をさせ、女は性の奴隷だくらいに考えているやつだわきっと。
 あまり長湯だと化粧や髪にまで手を入れなければならなくなるので、汗の匂いを流し、あそこを洗って、浴衣を着てすぐに部屋に戻った。ところが、男が風呂からなかなか戻ってこない。鈍いやつの長湯に待ちくたびれるほど待たされ、並べられた料理を先に食べるわけにもいかず、お酒も飲めない。癪に障るので、ビールを1本だけ飲んで部屋の外に目立たないように空き瓶を隠すと、やっと風呂から帰ってきた。それもスーツ姿で。「お風呂に入ったのでしたら、浴衣に着替えたらいかがですか。」と、浴衣に着替えるように勧めたが「いやははは、習い性というかスーツは脱いでもワイシャツの方が体に合ってしまっていますから。」と、上着だけ脱いだ。
 私は湯上りのビールを飲み終わったので「私は清酒が好きなので、冷酒を用意してもらいました。お風呂から上がったばかりはビールの方がよろしいかしら。」と、とぼけて聞いてみると「私も冷酒は大好きです。それぞれ手酌でいきますか。」と、目の前の露に濡れた瓶に手を伸ばした。案外呑み助かもしれない。沢山飲ませれば寝てしまうか、男の役が立たなくなれば、しなくてもいいわと思いながら「それは無粋ですわ、私がお酌しましょう。どうぞ。」と、酒を勧めた。
 男が酌のために近づいた私をしげしげと観察している気配を感じる。浴衣の袷から胸まで見てバストのサイズでも推測しているのかしら。「今度は僕がお酌しましょう。」と慣れた手つきで女向けの程よい量をついでくれた。私が先に酔ってしまってはいけないので味わうようにゆっくりと冷酒を口にした。男は一気に冷酒をあおるので、「お酒、お強いのね。」と酌を勧めた。私は男の猪口に気を配りながら料理を食べ、男の猪口が空になる前に酒を勧めた。早く酔いつぶれろ。