マペットの鬼才。

 前回のブログのマペット映画『ダーククリスタル』のマペットは、鬼才ジム・ヘンソンの作である。ダーククリスタルは人間が入れる大きなマペットだが『ラビリンス』にもジム・ヘンソンの作った多数のクリーチャーが出てくる。
 毛虫の様な小さなクリーチャーが滑らかにそれらしく話すのは見ていてとても楽しい。小さなクリーチャーは、トッポジージョで開発されたワイヤー操作だと思うのだが、ファンタジー作品の中に溶け込み、違和感なく楽しめる映画である。(一部見たくない手抜きクリーチャーもある)
 勿論、魔王を演じるデビット・ボウイが魅力的だし、15歳のサラを演じるジェニファー・コネリーも少女が女性になる瞬間にあり、とても可愛らしい。
 
 命なき者に命を与える映像はプラスチックなど素材の発達で飛躍的に進歩した。今はコンピューターグラフィックで様々な事ができる様になったが、映像の温かさという点ではマペットに軍配が上がる。
 特に、ファンタジー映画にあってはリアルを追求するよりも、絵本と同じ様に肌の温もりを感じる事の方が重要なのだ。
 
 映画とは所詮虚構だ。リアルを追求してもドキュメンタリー映画にもかなわない。また、リアルは醜悪である事も多い。若い時はリアルを追求したがるが、現実を沢山見てきた歳よりは醜悪なリアルよりも、リアルをつき抜けたところにある様式美ですべてを理解する事ができる。日本における様式美の頂点は歌舞伎だろう。歳をとればあれでよいのだ。
 
 映画で重要なのは、その世界観の中に矛盾の無い事だ。作品の中に矛盾が生じた途端に見たくなくなってしまう。
 そういう意味で、私はティム・バートン監督が好きだ。この人の作品のほとんどは最初の映像で『これは作り物だよ』と言い切ってしまう。だから内容に不条理があっても、映画の中でのつじつまが合うから『シザーハンズ』も『ビッグフィッシュ』もついつい引き込まれてしまう。所詮作り物なのだが、そうあってほしい世界観に浸りきってしまう。