人間は見物の好きな生き物。

 『釣り人1人に馬鹿8人』とは見物好きを表す言葉ですが私にはピンときません。それよりも向こう側が透けて見えるほどに見事なカンナを掛けをする大工さんの方が私の性分に合っています。でも町中から小川が減り釣り人もいなくなりましたし、家もハウスメーカー製が多くなり、建築中の家の前でカンナを掛ける大工さんも見かけません。
 
 囲碁将棋にも人が集まります。落語にも囲碁将棋のくすぐりがあります。
『その端の石。危ねえよ。』「馬~鹿、ここに目があるじゃぁねえか。」『ア~ッ。落っこちた。』とか。
『熊、お前えの負けだ。4目並んでるぜ。あれ、こっちは7目だ。何だ、本碁か。』とか。
『これならどうだ、王手飛車取りだ。』「じゃあ、飛車を逃がそう。」とか。
『ナニ~。王手だと~。ところでお前の王が見えねえな。』「危ねえから懐に入れてある。」等々。
 
 大道芸などにも人が大勢集まります。昔は1輪車にも人が群がりましたが、小学校で保健体育に取り入れられてからは出来る人が増えて、よほどの大技でもやらない限り見物人も集まらなくなりました。
 その群がる性質を逆手に取って、騙すために人を集める事もあります。俗に『催眠商法』と呼ばれる悪徳商法で、駅前などで台所の水切りネットなど安価な商品を配って人を集め、更に良い物をご用意していますとビルの中に誘い込み、最終的には法外な値段で物を売りつけます。
 
 ではなぜ人間は見物好きなのでしょう。1輪車に人が集まらなくなったのは物珍しさが減ったからでしょう。『物珍しい』というのが見物好きの原点かもしれませんが、マグロの解体ショーなどにも人は集まります。
 ライオンが獲物を捕らえて食べ始めるとハイエナが集まってきます。私にはマグロの解体ショーがそれに似て見えます。人間にも騒動の後のおこぼれを期待する動物的な刷り込みがまだ残っているのかもしれません。(だから催眠商法にひっかかっちゃう?)