物より心?。

 平成になって24年。映画『三丁目の夕日』にロマンを感じ『昭和レトロ』などと古き良き時代の様に懐かしむが、それは年寄りのノスタルジーか過去を知らぬ若者のイリュージョンに過ぎない。
 仮に平成元年の世相を振り返ってみると、テレビは縦横比3:4で解像度の低いブラウン管式だったし、携帯電話はアナログ方式でメール機能など無かった。パソコンもOSはシングルタスクのMS-DOSだったし、インターネットも一般ユーザーが使うものではなく一部マニアのものだった。
 
 現代の若者は便利なスマートフォンを捨ててそこまで戻れるだろうか。いや若者だけではない。私だってもうあそこに戻るのは嫌だ。
 物に溢れて心が置き去りにされた様に感じるかもしれないが、心を求めて過去を懐かしんでも、現代のあらゆる利便を捨て去ってそこに住むのは我慢できない。便利さを知ってしまった身には、不便さにフラストレーションが溜まるだけだ。
 
 人間は新しい事態への対応策など頭だけでは考えられないから、過去の事例で対応方法を考えようとする。しかし過去の事例を学ぶ時、その時代背景や物質文明のレベルなど考えない。
 ウエスタンミュージックに『500マイルも離れて』というのがある。昔はすごく遠い距離だが、現代なら数時間の距離でしかない。心や考え方は物質文明や時代背景によって変わるのだ。
 
 三丁目の夕日にしても、昭和レトロにしても、その時代の物質文明の貧しさに耐えられるかどうかなど悪い事は考えないで、失われてしまったものの良い所取りで夢を見ているだけなのだ。
 現在の社会というのも、苦しみの中から試行錯誤ででき上がったものだ。試行錯誤の歪は過去を懐かしむだけで解決などできない。修正するにも苦しみを伴う試行錯誤以外ないのだ。