『博士の異常な愛情』という映画。

 5月25日午後1時からNHK-BSプレミアムで放送されます。米ソ2大核兵器大国時代に核戦争をパロった映画ですが、今の現実は核の拡散により核兵器使用の危機が去るどころか増した気さえします。そんな現実こそ映画以上のパロディーです。
 
 初めてこの映画を見た時は『ソ連に核攻撃を命令した将軍は狂人』と思っていましたが、中年になってこの様な人物が実在する恐ろしさを知りました。
 日本でも熱心に布教活動をするアメリカ発祥のキリスト教原理主義者は、ワシントンのロビースト活動で人為的な世界大戦で無理やり神に『最後の審判』を開かせようと画策していますし、米国軍人や役人にもキリスト教原理主義者がいて同様な事を考えています。
 
(2010年8月5日のブログ『核戦争を望む普通の人々』でも書きました)
http://blogs.yahoo.co.jp/kuranosuke_taira/17104782.html
(2011年6月11日のブログ『災害時には新興宗教が布教に来る』にもチョコッと)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kuranosuke_taira/24656582.html
 
 映画のソ連に核攻撃を命令した将軍が狂人なら、人為的に『最後の審判』を画策する人々も狂人です。また、核大国の米国にその様な人々がいる事こそ超1級のブラックジョークです。
 
 原理主義を国語辞典で引くと(聖書の無謬性を主張し天地創造や処女降誕や復活再臨の教義を根本原理として文字通りに信じるキリスト教徒)と書いてありました。要するに聖書に書かれている事はすべて事実という考え方です。
 こういう原点回帰の考え方は政治にはつきものです(私は宗教を古代政治の残渣と考えています)。政治が時代に合わなくなると『昔に立ち返れと』叫ぶ人が出てきます。明治維新は王政復古とも言われ、おおらかな日本古来の文化に立ち帰ろうと唱えました。
 しかし武士による幕藩体制が時代に合わなくなったのです。更に古い天皇制に戻って『まつり事』が上手く行くわけがありません。王政復古に夢を描いた人々が明治維新に失望したのは当然です。このあたりの世情を描いたのが島崎藤村『夜明け前』で、苦労に苦労を重ねた主人公は夢に破れて狂死してしまいます。
 
 一般的に言える事ですが、時代が下れば文明は発展し世の中の流れも早くなります。古い体制に戻っても絶対に上手く行きません。時代が進み文明も膨張したのですから、脱ぎ捨てた古くて小さな入れ物に押し込める事はできないのです。
 ところが文明は心を置き去りにして進歩します。聖書の『人はパンのみにて生くるにあらず』の言葉は、物質的充足が必ずしも精神的満足を与えない事を物語っています。その心の隙間の寂しさに『物より心』と勘違いした奴が『昔に立ち返れと』叫ぶのです。