私の忘れていたトラウマ(その1)

 先日、女房と2人で注文しておいた3ホールのアップルパイを取りに池袋にでかけました。さほど重くはありませんが、箱に入っているので嵩張り、腕を少し横に広げた状態で持っていました。
 電車の中でもそうして持っていたら、その辛そうな格好を見た女房が『床に置いたら?』と言います。私がそれを無視していると何回も『床に置けば?』と言うので「うるさい。俺の好きにさせろ。」と大声を出してしまいました。
 
 なぜ切れたのか自分でも判りませんが、米や芋や缶詰なら床にも置きますが、そのまま食べる食べ物は、たとえ箱に入っていようが、風呂敷で包んでいようが、袋に入っていても地べたに置く事ができないのです。
 そして、眠れぬ晩に思い出しました。戦後の食糧難の時に、今の北朝鮮闇市と同じ光景が身近にあったのです。私は4~5歳だったと思いますが、吉祥寺の闇市で母親が焼き芋を買ってくれました。
 母は皮を剥いて芋を渡してくれました。1口2口食べるうちに芋が皮を剥いた所から折れて落ち、母は拾い上げて泥の付いた所を指でむしってから口に入れてくれましたが、芋には泥の臭いがありました。
 土の香りではなく口に広がった泥の臭いの記憶以来、私はそのまま食べるものを地面に置く事ができなくなったのだと思います。米なら研ぎ、芋は洗います。缶詰は器に出します。しかし、直接食べる物に泥の臭いがついたらどうすればいいのでしょう。
 
 とはいえ、食糧難になれば食い物は、泥が付こうが、腐った臭いがしようが、誰かに奪われる前に飲み下してしまうのです。肉体はそんな食料でも受け入れます。しかし、心は満たされないのです。
 豊かな食生活とは、たとえ質素な食事であっても、団欒という心の満足感を伴わなければ寂しい食事になってしまいます。
(肉体と心が満たされないと人間は虚しさを感じてしまいます)