ミクロとマクロで価値観は逆転する。

 私は殺されたくありません。勿論、殺したくも戦いたくもありません。でも、家族に危害が及ぶ時には、私は敵に立ち向かうでしょう。私は子供の頃から妻や我が子供を危険にさらしたくないと考えていました。それは私が男だし、大人になれば妻子を守るのは夫の義務であり親の責任だと考えていました。
 そう考える様になったのは、まだ捕鯨が盛んだった頃に聞いた鯨の話からです。
 親子連れの鯨は最初に子鯨を撃ちます。子鯨を撃てば、雄も雌も子供を案じて逃げません。次に雌を撃ちます。雄は雌を案じて逃げません。そして雄を一番最後に仕留めれば簡単に3頭の鯨が獲れたそうです。でも、この逆をやると雌鯨も子鯨も逃げてしまうそうです。
 私は子供の頃から雄鯨の様な生き方をしようと思いましたし、皆さんも『夫ならば妻を守り、親ならば子供を守る。』と考えている事でしょう。これは家族というミクロの一般的な心情です。
 ところが、国家というマクロの理論になるとこれが逆転します。戦前には天皇を親とし、国民を子に例えて『親のために死ね』と国民を鼓舞しました。
 子をかばう親の気持ちが、どこで親のために死ねに換わってしまったのでしょう。私も戦争体験の無い人間です。どこで理論転換を行い鼓舞したのでしょう。判りません。
(最初はhttp://www.geocities.jp/cokite_ero_sum/に掲載予定でしたが、14日の武器の続きとしてこちらにUPしました。)